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人生の価値=死に様の決め方 [謙虚にオピニオン]

人間は、必ず死にます。
ですから、生きていくということは、つまり、どのように死を迎えるかということなのです。

仮に原発から東京へ向けて(東京という場所は例として挙げただけです)、命に関わる影響を及ぼすような放射線が発せられるような事故に拡大したとします。
その前に、言ってみれば他人を出し抜いて東京を離れ、それらの人が被害を被っているのを見て、
「だから早く逃げろって言ったのに‥‥でも、自分は助かって良かった」
と思えるのでしょうか?

そこで助かったとしても、必ず将来、その人は死を迎えます。
死を迎えるその時に、自分の人生は良い人生だったと評価できるのでしょうか?

退避すべき場所の人が、退避することは大切だと思います。退避すべきかどうか、自身で判断しないで人任せにするべきとも思いません。しかし、他人を出し抜いて被災を免れる行動が、その人の人生にとって価値があるのでしょうか?

世の中には、人生の途中で人を出し抜いて生き延びた一時期を経て死を迎える人と、人を出し抜くようなことはせずに死を迎える人の2通りに分けることもできます。

ガソリンや食料を買い出しに走るのも、人を出し抜く行動だと思います。

気付かずにパニックに陥ってそういう行動を取っている人も多いでしょう。
人を出し抜く行動だと意識しないで、実は人を出し抜くことに繋がる行動を、僕自身も取っていることもあるかも知れません。
しかし、大人が無意識であっても人を出し抜いたならば、子どもと違って責任はあります。

人生の価値=死に様の決め方は、その人自身が評価することなのかも知れません。
僕は、人を出し抜くような生き方をしないように、常に自問自答しながら、出来ることならなるべく遠い将来に死を迎えたいと思っています。
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